日本のお茶の歴史は1191年、我が国で初めて禅寺を開いた僧・栄西が、大陸から持ち帰った茶種を福岡市の南部にそびえる背振山に播いたのが初まりと言われています。今では茶は福岡県の特産品のひとつで、中でも八女地区(八女市・筑後市・八女郡)は全国的にも有名な茶どころです。
平成27年12月22日に特定地域のブランド農産品を国が保護する制度「地理的表示保護制度(GI)」の登録第1弾として「八女伝統本玉露」が認定されました。
・地理的表示保護制度(GI)【農林水産省】
江戸時代後期の文政四年(1821)、指物大工の遠渡三作がある夜夢で見た華麗な仏壇を模して作ったのが始まりと言われています。製造技術が確立したのは嘉永年間(1848〜1854)で、地元でとれる杉、桧、漆を使用して発達し、産地(旧福島町)の名をとり、八女福島仏壇と呼ばれ国指定の伝統的工芸品に指定されています。
起源は文化年間(1804〜1818)、八女市の荒巻文右衛門が山茶花を描いた盆提灯を作ったのに始まる。八女は竹、和紙、漆、木ろう、木材と提灯づくりに必要な材料や技術が揃っており、国指定の伝統的工芸品に指定されています。
筑後の紙として確認されたものに、正倉院の戸籍断簡、正税目録帳の断簡がある。文禄四年(1595)に、全国行脚の途中に立ち寄った越前の僧・日源上人が矢部川の清流が紙すきに適していることを知り、故郷から三人の兄弟を呼び寄せて土地の人に伝えた。最盛期の明治三十九年頃は約1800軒でつくっていたが、洋紙の普及と生活様式の変化で需要が減り、現在は八女市と筑後市で生産している。
起源は江戸初期といわれ、最も古いものは文久年間(1861〜1864)の作が残っている。昭和三十年代には庭園ブームとなり、愛知県岡崎市、香川県木田郡庵地町、島根県出雲市とともに石灯籠四大産地の一つとなっている。
中国から高麗を経て日本に伝わったもので、古代はもっぱら宮廷の儀式に用いられていたのが、南北朝時代の頃から子供の遊び道具となった。八女には菅原道真公が伝えたのが始まりと言われる。
戦前までは八女地方で10軒以上独楽を作っていたが、現在は1軒だけとなった。
1752年(宝暦2年)有馬藩お抱えとなった矢師が矢竹の多い八女の地にて矢作りを始めた。当時は矢作りだったが、現在は弓道の矢として飛びの良さと美しさで全国の弓道家に知られている。
宝永年間(1704〜1711)に、福岡藩の浪人斉藤平太夫が八女に寄留した時に伝えたものと、日向鍋から移り住んだ浪人の鍋氏が伝えたものと2系統の技術から始まったものといい、290年の伝統を誇る。